松ぼっくりフォーラム

第1回(2) 朝海和夫氏講演

湘南学園同窓会 松ぼっくりフォーラム 第1回講演 2009年3月14日(土)

講演者
湘南学園、幼稚園から昭和24年小学校入学 朝海和夫氏
ロンドン、米国で学生生活、外務省へ、ミヤンマー大使、EU大使を歴任。

“100年に1度の世界的同時不況、今”

1、湘南学園小学校の思い出:先進国に追い着こうとしていた日本
幼い頃の思い出からお話しようと思います。昭和24年、幼稚園から小学校へ入学、
ひばり、こまどりの2クラス、頭のいい生徒は皆こまどり組みでした。(笑い)出席番号は誕生日順で26番、担任の先生は“あさかい”と読めず“ちょうかい”“あさうみ”と呼ばれ友達にもふざけて、よく“ちょうかい”と呼ばれた思い出があります。小学3年になり、楽しみにしていた新しい木造校舎に移る直前に、両親と共に英国へ移ることになりました。羽田から空路、昭和26年11月26日のことで、出席番号も26番。何かの偶然です。父の赴任先ロンドンは、空襲の跡がまだ残っており、食料品も配給制度。むしろ鵠沼の方が落ち着いていました。でも、自動車は走っているし、道路も舗装され、テレビもあり、子供たちは皆革靴を履いているのにビックリ。学園で革靴を履いているのはクラスで1人だけでしたから。
ロンドンのあと学園に戻り、中学3年生になると米国へ家族とともに移ります。当時の米国ではちょうど日本車の輸出が始まりましたが、T社の車は家の前の長い坂道を何度もギアチェンジしないと登れず、バスにまでクラクションを鳴らされ追い抜かれる始末。肩身の狭い思いをしました。もう1つ想い出は、学校で自慢してやれと最新のトランジスタ携帯ラジオを持って行ったとき。凄いものを作れるんだなあ、と皆を驚かしましたが、友人の一人は、「でも日本は“バックワード”な国なんだろ」と、はっきり「後進国」、「遅れた国」と言われてハッとしました。
私の小学校から高校までの時代は、日本は欧米各国との差を急速に縮めて行ったがまだ遅れを取っていた時代と言えます。

2、社会人になったころの日本:先頭集団に追い着き貿易摩擦を迎えた時代
私が社会人になったのは1965年(昭和40年)ですが、その頃ようやく経済面で先頭集団に追いつき、抜きつ抜かれつの競走になって行きました。マラソンでも先頭集団では体がぶっかったり、足がひっかかったりするものですが、国際関係でも経済摩擦、貿易摩擦が激しくなり、私が外務省で担当した日米関係がまさにそうでした。繊維問題から始まり、鉄鋼、TV、半導体、80年代は自動車でした。しかし、経済でトップグループにいたので、今で言うG8サミットには初回のパリでの会合から日本は呼ばれました。80年後半から90年始めにかけ私はジュネーブに駐在してウルグアイラウンド、多角的貿易交渉を担当しましたが、その頃主要国と言われたのは、日、米、ECの3カ国で、100ケ国あまりの交渉のリーダー役でした。日本のODA(開発援助)が世界第一位だったのもこのころです。

3、バブルが崩壊し内向きになった日本:他方で世界はより複雑に
ところが、90年中頃からバブル崩壊、少子高齢化なども表面化、マラソンランナー日本はちょっと足が重くなってきたようでした。そのころ世界も大転換。ベルリンの壁崩壊、米、ソ連対立が終わり核戦争は遠のきましたが、民族紛争、宗教紛争、テロ等の新しい火種が出てきます。もう1つ変わったのは、新しく地球環境問題や人権問題が国際問題として俎上に上ってきたこと。リオでの地球環境サミットで気候変動の枠組条約が合意されたのが92年。人権問題も89年の中国の天安門事件、ミャンマーの問題、北朝鮮の問題などが大いにクローズアップされるようになりました。経済のグローバリゼーション、ボーダーレス化と言われますが、経済だけでなく環境とか人権とかも国内問題ではなく国際的な関心事と考えられるようになったのです。
ところがこの時期日本は、バブル崩壊が影響したのか、むしろ内向きになって行ったようです。明治の頃や、戦後の復興期のような元気、気鋭が感じられない、と言われます。海外に留学する若者は6年前の03年は11万3千人だったのが07年は10万5千人弱で9千人近く減っているそうです。数字的にもっと衝撃的なのは日本のODAで、80年代、90年代は世界で最大規模であったのが年々大幅に減り続け、今や12年前の6割、世界で5位に後退です。自信が揺らぐ反面中国が台頭してきたことへの反応でもあるのでしょうが、伸びやかな国際主義ではない、ナショナリズムのような傾向も出始めているようです。

4、うつむく日本と「百年に一度」の金融危機・世界同時不況
ちょうどそんな時、「百年に一度」といわれる金融危機、世界同時不況が発生。世界経済の構造が根本的に変わるだろう、歴史のひとつのステージが終わった、とか言われています。これから始まるのは、日本がようやく追い着いたと思った主要先進国がリードするのではない、新しい多極化の時代かもしれません。今の不況を世界はどう乗り越えていくのか、どういう新しい時代が始まろうとしているのか。よくわかりませんが、敢えて予想を述べると、まず、米国は超大国で世界1の軍事大国であり続けるでしょう。しかし、米国の経済力は相対的には落ちてきてるし、ブッシュ政権の勝手な行動のため米国の威信とか魅力にはやや翳りもあります。オバマ新大統領の新しい路線でどこまで挽回するかが注目されます。次に中国などのいわゆる新興国(BRIC‘S ブラジル、ロシア、インド、中国)ですが、経済面での比重は増えてゆくでしょう。中国は金融危機で成長率が鈍ってますがそれでも8%を目指しています。あと10年も経たずにGDPで日本を抜き今世紀半ばには世界一になる、という予想があります。インドもあと20数年で日本を抜く、といわれています。経済面では米国と中国が先頭争いをし、ちょっと遅れてEU、インド、やや足を引き摺りながら日本、という展開かもしれません。なお中国については、急速な経済成長や軍備力増強が注目されますが、世界の尊敬や憧れを集めるという意味では、自由の象徴的存在である米国に及ばないでしょうし、共産党の一党独裁特有の不安感、沿海都市部との地方との格差、これから急速に訪れる人口構造の高齢化などの不安定要素には注意を要するでしょう。

5、日本は荒波をどう乗り越えるべきか
米国の雑誌「ニューズウィーク」は最近、「日本は世界への影響力が弱っているとハムレットのように悩んでいる、だが悩んでいるだけで何も対策を採ろうとしていない」と論評しています。今のような政治状況では確かに多くは期待できないかもしれません。でも、対策を講じないで内にこもっていたのでは世界に取り残された「ガラバゴス島」になってしまいます。まず第一に、内向き思想考を改める必要があります。もっともっと大勢の若者が海外へ、観光旅行ではなく留学などに出るようにすべきです。若い世代が重要です。第二に、日本という国が国として、世界でどのような「立ち位置」に立つのか、どのような役割をはたすのか皆で大いに議論し、考えを整理する必要があると思います。例えば安全保障の問題。日本自身の安全は世界最強の軍事大国米国との同盟によって守るのが良いでしょう。でも各地で起きる民族紛争とか海賊とかを日本はどうするのか。私は、傍観するのではなく、問題のある国の経済・社会の安定をODAで積極的に助けたり、国連の平和維持や紛争防止の活動に協力したりすべきであり、それが日本自身の利益でもあると思いますが、とにかく皆でもっと関心を持って考えるべき問題だと思います。温暖化問題や貧困問題・人権・人道問題も重要です。ところがこれから世界での比重を増やしてくる、中国などの所謂新興国はこうした問題への関心はあまり高くないようです。となると日本が今まで以上にリーダーシップなり責任を果たさなければならないのでしょう。第三に中国との関係を強化改善する必要があると思います。中国は、内にいろいろな問題を抱えているようです。日本との関係でも歴史認識の問題や餃子などの食の安全の問題があってお互いの国民感情、世論は微妙です。でも隣の大国ですし、世界の安定勢力になるのか何になるのかよくわからないにせよ大きな存在になりつつあります。いろいろな交流を進めて、時間がかかるでしょうがお互いに、相互理解の努力をする必要があります。第二次大戦後のドイツとフランスの和解が欧州共同体の建設を通じて醸成されたこと、和解があったからこそ共同体という形での協力も可能になったことを思い起こしながら「東アジア共同体」の建設に共に努力するとかの、制度面での努力も必要になっていると思います。

6、終わりに
学園創立70周年記念号で拝見しましたが湘南学園建学の精神は「個性豊かに、身体健全、気品高く、明朗で実力があり、社会の進歩に貢献できる有為な人材の育成」にあります。今の時代にも立派に通用するものです。最近更に加えて、海外にも目を向けた子供たちを育てるということでオーストラリアへの留学なども計画されていると伺います。
こうした建学の精神を踏まえて、学園がますます発展されることを心からお祈り申し上げます。
以上

(元EU代表部大使 朝海和夫氏 講演内容記録)

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